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今日の科学者 – J.J.トムソン

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J.J.として知られるイギリスの物理学者、ジョセフ・ジョン・トムソンは1856年12月18日に生まれた(最初の画像)。 1884年、まだ28歳だったトムソンは、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ物理学教授に就任した。 その10年前にキャベンディッシュ研究室が設立された(2枚目)。 初代所長は、電磁気学の偉大な理論家であるジェームズ・クラーク・マクスウェルであったため、トムソンはトリプルEサイズの靴を履くことになったのですが、なんとか立派にその靴を履くことができました。 1890年代に入ると、トムソンは陰極線に注目するようになる。 陰極線は、1870年代にウィリアム・クルックが「クルック管」というものを発明して発見していた。 クルック管とは、2本足のダックスフントくらいの大きさの長い透明なガラス管で、中には2つの電極が入っている。 筒の中を真空にしてわずかにガスを残し、電極を電池に接続すると、筒が光って、陰極(マイナスの電極)から何かが出ていることを示すことができた。 ヴァニティ・フェア誌に掲載されたクルックの風刺画には、クルックが真空管を持っている姿が描かれている(3枚目)。

このようにトムソンは陰極線を研究し、その性質を明らかにしようとしていた。 まず、磁石で光線が偏向することを知り、その偏向の方向から、粒子であれば負の電荷を持っていると判断した。 そして、粒子の速さと偏向の大きさを比較して、粒子の質量が非常に小さいことを突き止めた。実際、粒子の質量は、当時の最小単位であった水素原子の1000分の1であった(つまり、同じ速さで進む水素イオンは、偏向の大きさが1000分の1であり、方向も逆であることから、正電荷を帯びていて1000倍重いことが分かる)。 トムソンはこの粒子を「電子」と呼び、1897年にロンドン、エジンバラ、ダブリンの哲学雑誌とジャーナル・オブ・サイエンス誌にその発見を発表した。 これで初めて、原子に部品があることが分かった。 上に見えるのは、1897年の論文の最初のページ(画像4枚目)と、その論文に掲載された実験装置の図(画像5枚目)である。

トムソンは、電子の発見などにより、1906年にノーベル物理学賞を受賞した。 これは6年目の受賞である。 トムソンは、1919年に引退するまでキャベンディッシュ研究所を主宰し、アーネスト・ラザフォードが後を継いだ。 旧キャベンディッシュ研究所の外には、トムソンが電子を発見したことを記念するプレートがある(7枚目)。

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